高速道路の車中にて
まったくツイてない。
長距離を走る日なのに生憎の雨だ。
雲は黒く分厚く、雨足も徐々に強くなっていく。
「視界不良、走行注意、か・・」
祥太郎は電光掲示板の文字を力なく読み上げた。
面談の約束は午前11時。
横浜からの距離を考えて余裕を持って出てきたが、
このペースだとギリギリの到着、とカーナビに表示が出ている。
フロントガラスに当たる雨音が「遅れるなよ」と急かしているように感じられた。
祥太郎はぐいんとアクセルを吹かした。
愛知県日進市、無礼庵。
そこが今日の目的地だ。
名古屋だから新幹線で行ける、と思いきや、遼平が、
「無礼庵は車のほうがいいぜ。名古屋駅からは死ぬ程遠い」
ということで「東名三好インターを降りてすぐやで」という遼平の言葉に従った祥太郎だった。
しかし、あの夜の遼平はいつもより饒舌で力強かったよな・・。
元々頭の切れるヤツなのだが、あの夜、
というかここ最近のヤツは一段上に登ったような気がする。
そんな遼平が
「俺なんかに聞くより俺の先生に聞きな。その方が早い」と言うから、
今俺はこうやって車を走らせてるわけだ。
遼平の先生、その「えのさん」は榎本計介さんという方で、
元々裸一貫から最終的には年商230億円の会社を創り上げたという。
まあ、その手の話は探せばある。
しかし遼平が言うには、そのえのさん、何と50歳そこそこで会社を後進に譲り、
今は名古屋を中心に経営者育成の研修プログラムや能力開発セミナーを主催してるらしい。
「せっかく苦労して会社を大きくしたのに、それをその歳で手放すか? 変わり者かもな・・」
祥太郎の頭の中にあの夜のファミレスでの会話が蘇ってきた。
「わかった、俺そこに行ってみるわ。でも何もわからない状態で行くのも心細いしさ、大体でいいからその無礼庵、えのさんのこと、もう少し教えてくれ」
大学生たちが馬鹿騒ぎする騒々しいファミレスの片隅で遼平は話し始めた。
「祥太郎、あまりしゃべりすぎると先入観できるから嫌なんやが、俺はえのさん流MBAという1年やるコースに参加した」
「他にも150日6回というコースもあるし、まあいろいろやってる」
「絶対に参加しろと言ってるんじゃない、まずは1時間だけお話をしてきたらどうなん?」
「えのさんと同じようなやり方をしてる所ってないと思う」
「人件費削って、利益を作って、仕事したでしょ? みたいな経営コンサルがいるけど、えのさんはそうじゃないんだよ」
「えのさんのメソッドが効果が上がる理由は、すべて実務経験から生まれたもので机上論じゃないから」
「経営者としての心構えはもちろん、具体的な経営戦略、人事施策などが無駄なく身につく内容」
「普通、経営者の勉強会、研修会というと実務スキルだけを学ぶとかが多いが、えのさんがユニークなのは実務だけを教えるのではなく同時にマインドセッティングをすること」
「マインドセッティング、心を整えること、実はこれが後々効いてくる」
「マインドについて語る経営コンサルは案外いるけど、ほとんどは表面を撫でてるだけ、本に書いてある心地よい言葉を言うだけだが、えのさんはまったく違う」
「マインドを整えてスッキリすると不思議と新しい世界が周りに立ち上がってくる」
いつもはクールな遼平がここまで熱く語ることは珍しい。
その熱さは逆に祥太郎の疑念を呼び起こした。
「遼平・・、そこって宗教じゃないよな? なにかの信者みたいだな・・。」
遼平は目をクリクリさせ、一呼吸置いて話を再開する。
「やっぱそう感じちゃう? でも大丈夫、ぜんぜん違うから。お前がそういうの嫌いなことも知ってるし、俺もそういうの嫌いやし」
「祥太郎、えのさんの所に行くことだけが解決策じゃないよ、でもいろいろ考えると手っ取り早いわ。まあ、取りあえず行ってこい。えのさんは押し付けがましいこと言わないし、大丈夫大丈夫」
あの夜の遼平の言葉が頭の中で何度も繰り返される・・。
左手には浜名湖が見えてきた。 雨は一向に弱まる気配がない。
元々人見知りな祥太郎ではあるが、
「現状上手く行ってない人には必ずココロの中に邪魔なモノがあるんやな」
「そんなもん、サッサと取り除いてガンガン先に進もうって話や」
そんな親友から熱く背中を押されて、今、無礼庵を目指している。
「よし!」
祥太郎は勢い良くアクセルを踏み込んだ・・。
無礼庵到着
10時55分。
約束の時間の5分前、ぎりぎりの到着だ。
祥太郎は一つ咳払いをして呼び鈴を鳴らした。
「こんにちは、私、竹内といいます」
「・・はい、お待ちしておりました、どうぞお入りください」
ドアを開けると自分と同じ年頃の男性が出迎えてくれた。
「どうぞこちらの部屋でお待ち下さい。えのさんは直ぐに参ります」
通された部屋はモダンジャパニーズなインテリア、
掘り炬燵に一枚板のテーブル。
そこに座ると丁度真正面に庭の緑が目に飛び込んでくる造り。
職業柄どうしても分析してしまう祥太郎であった。
「よく来たね。横浜からか・・。リョウヘイの友だちだよね?」
いきなり背後から話しながら部屋に入ってきた男性、それがえのさんだった。
「竹内祥太郎です。本日はお時間いただきましてありがとうございます」
「僕のことはリョウヘイから聞いてるよね? じゃあ早速質問していこうか」
「竹内君はどのパターンでここに来たの? 1.仕事がうまく行ってないから何とかしたい 2.仕事は順調だけど更なる発展を目指している、リョウヘイはこれだったな。3.無類の研修好き、研修マニア 4.その他 」
「・・今日ここにお伺いしたのは、最近の石垣君の様子が羨ましくて、それに対して自分は事業が上手く行ってなくて・・、その、ここで勉強すれば何かが得られるかな、と思ってやってきました・・」
「3秒で答えられるのにいろいろな言葉で修飾する癖、気づいてる? 何かが得られるって、結構ぼんやりしてない? ある意味典型的だね、まあいいでしょ、いろいろ質問していこうか・・」
えのさんは静かに、次々と、淡々と、祥太郎に質問をし続けた・・
歳は? 家族は? 独立の動機は?
業界の現状は? どうなりたいの? 夢は?
儲かってる? それって思い込みじゃない?
同業者で儲かっているところはある?
自分の事務所との違いは何?
一連の質問が終了した後、えのさんは独り言のように呟いた。
「まあ・・、最初だから、いいかな・・、ここの講義内容はリョウヘイから聞いてると思うが・・」
「竹内君はESJ(えのさん流成功実現プログラム)がいいかな」とえのさんは数枚の受講案内資料を祥太郎に手渡した。
えのさんが主催している一般向けセミナー、経営者向け研修に共通していることは、知識だけを頭の中にインプットするスタイルじゃなく、知行合一、学んだ知識を実務、実生活に活かして社業を発展させていく、このような考え方がベースとなって各コースが出来上がっている。
えのさん曰く「うちには幾つかのコースがあるけど、どれも最初から決まった答えを授けることはしないの」「経営者として最低限身につけておくべき実務知識を学び、同時にしなやかで強靭なマインドを作っていく」「よくある自己啓発セミナーって高揚感は凄いが数日経ったら消えちゃう、だけどそれじゃお金と時間がもったいないよね」
祥太郎は参加することを伝えた。
というか最初から参加するつもりだったのだが、いつもの「プロセスを踏んで決める」という癖で先延ばししてたのだ。
「ところで、竹内君は人からよく優等生って言われない? または気位(きぐらい)が高そうだ、とか」
その言葉を聞いた祥太郎は、前職を離れるその日に社長から同じことを言われたのを思い出した。
「竹内は気位が高すぎる。どうしようもないな!」
祥太郎はテーブルの木目を見つめて黙り込んだ。えのさんは静かに話を続ける。
「さっきの受け答え、あくまでも印象だけど、無意識に良く見せようとしてたのかもね、まあ仕方ないけど」「いろんな質問に答え続けていくうちに自分が話してる言葉と心の奥底にある本心との間に距離がある感じで、居心地悪かったでしょ」「今現在の立ち位置を体感できたら、今日はそれでOKだ」
「うちには幾つかのコースがあるけど、繰り返すが、どれも最初から決まった答えがあって、それを押し付けることはしない」「だって、人って一人ひとり違うし、最後は自分で選択して行動していくのが人生だからね」
気づけば窓ガラスを打ちつけていた雨はすっかり止んでいた。木々に反射した緑色の光が部屋の中に柔らかく差し込んでいる。祥太郎の初めての無礼庵訪問はこのような感じで終了したのであった。
海老名サービスエリアにて
フランクフルトを頬張りながら祥太郎は印象的な今日の出来事を振り返っていた。
巨大なサービスエリアは平日にも関わらず引っ切り無しに車が入って来て、そして出て行く。
祥太郎はイスにどかっと座り込んだ。独り言が自動的に頭の中に湧き上がってくる。
しかし疲れたわ・・。そういや榎本さん、いや、えのさん、帰り際に
「これからヒップホップダンスの稽古に行くんやあ」みたいなこと言ってたな。
3年後にコンサート開くとか、もうよく分かんない人だわ・・。
遼平が「えのさんみたいなタイプに会ったことない」と言ってたが、マジでそうだよ。変わってる。
えのさん、俺の最後の質問の
「榎本さんはなぜこのような研修事業を始めようと思ったのですか?」
にこう答えたよな・・。
「天命だから。以上」
いやいや、天命ってさ、余りにも大振りすぎて意味が掴みきれなかったわ。
で、俺は勇気を出して「えっと、天命ですか・・。それは使命みたいなものですか?」と聞き直したんだよな。
「使命とは少し違うけど・・、要するに、若い経営者を育てる、経営者が育てばその会社も育つ、会社が育てば社会に良き商品、サービスが提供される、最終的には社会が良くなる、まあこういうことだね」
年商230億まで大きくした会社にしがみつかず、天命を受けて教育事業を起こした人か・・
そんな人が作り出した研修プログラム。
遼平が進化した理由も知りたいし、まずは150日間、全力でやってみよう。
正直、すぐに売上が上がるノウハウを教えてください、という気持ちはある。
でも遼平の「ノウハウだけじゃ対処療法なんよ」という言葉を信じてみよう。
フードコートの雑踏の中、祥太郎の頭の中にはえのさんの言葉が次々と浮かんできた。
「今まで仕事を頑張ってきた最大の理由は?」
この問いに俺は「負けたくないから」「見返してやりたいから」と答えた。その答えを受けてえのさんは、
「負けたくない、この一念でもある程度のところまでは行ける。でも最後はその負けたくないという思いのせいで負けちゃうんだよね・・」
と返してきたんだよな・・。 禅問答かよ・・。
えのさんは続けてこう言った。
「負けたくないという思いを手放さないと最終的には勝てないんだよね、大体、負けたくない、負けたくないって楽しい? ワクワクする?」
正直、その時はよく理解できなかったし、今もそうだ。でもまあ、それは順を追ってその意味を知ればいい。
時刻は午後4時半。
サービスエリア内はトラックの往来が激しくなってきた。
「海老名か・・」
祥太郎は急に美晴に電話したくなった。
ここは独身時代、デートの帰りによく立ち寄った場所だったのだ。
「あ、俺・・、うん、今帰り道、海老名・・、ああ良かったよ、参加することにした・・、 え? メロンパン買ってこいってか・・、そんなもんでいいの? OK、買ってくよ・・、帰りは7時前かな・・、美晴、ありがとう、、 いや、何でもない・・」
穏やかな美晴の声。電話に向こう側から隼の笑い声も聞こえる。
体の奥からエネルギーが湧き上がってくるのを祥太郎は感じていた。
空を見上げると雲の切れ間からプラチナ色の光が差し込んでいる。
その光を見て祥太郎は理由もなく嬉しくなった。