プロローグ

登場人物

竹内祥太郎(たけうちしょうたろう)
建築事務所経営。前職を円満じゃない形で独立。裕福じゃない家庭出身。
父親との関係に問題あり。

竹内美晴(たけうちみはる)
祥太郎の妻。大学時代に知り合い、28歳の時に結婚。良家の娘。

竹内隼(たけうちしゅん
祥太郎と美晴の子ども。長男。

石垣遼平(いしがきりょうへい)
イーベイ取引からスタートし現在は美容機器の製造販売する会社を経営。
経営状態は良好。

2月上旬の寒い日。午後9時半。

仕事から帰ってきた祥太郎は軽く夕食をとった後、躊躇いがちに妻の美晴に話しかけた。

「美晴、、今月も15万でやり繰りしてくれ‥ すまんな…」

静かな部屋の中でストーブの炎が揺らめいている。

「祥ちゃん、この状態って何時まで続くのかな… 家賃払ったら5万しか残らない‥ わたし、もう‥」

「わたしもう‥、って何だよ…  俺だって精一杯やってるんだよ」

不意に祥太郎の口から激しい言葉が溢れ出した。

「新明建設の仕事がなくなって、新しいルートを必死に開拓してるんだ! 家族なんだからさ、俺を追い込まないでくれよ!」

「大声出さないで  隼が起きちゃうわ‥」

竹内祥太郎、32歳。横浜で建築設計事務所を経営している。

大手建築設計事務所から2年前に独立、最初の1年は順調だったが、
メインの取引先であった新明建設からの案件が突然途絶えてからは
自力で営業をしながらスポットの仕事で辛うじて食いつないでいる。
妻の美晴(みはる)とは4年前に結婚、二人の間には1歳の長男隼(しゅん)がいる。

部屋の角にある加湿器が微かな音を立てながら蒸気を噴き出している。
その淡い煙を眺めながら祥太郎はつぶやいた。

「大声出してごめんな、とにかく頑張るよ‥。頑張るから…」

美晴は無言のままだ。静かで重苦しい空気が部屋の中に充満していた。

その時、

(らいん♪♪)

静まり返った部屋の中で祥太郎のスマホが鳴った。

(駅前のガストでメシ食ってる、来る? リョウヘー)

親友の遼平からの呼び出しメッセージ。
とにかくこの部屋から抜け出したい祥太郎にとっては渡りに船だ、
「すぐ行く」とレスして2月の寒空の下に飛び出した。

(ガスト横浜大倉山店)

「祥太郎、こっちや」

入り口から右手奥の席で白いジャケットをきたイケメンが手を振っている。
この男の名前は石垣遼平、大学時代からの祥太郎の親友で現在は美容機器を販売する会社を経営している。
遼平は大学を中退して、最初はeBayで日本のオタクグッズを外国人に売って資金を蓄え、
その後は紆余曲折を経て現在の会社を立ち上げた。
業績は順調そのもの、来月には新宿のデパートの中にアンテナブースを出すことも決まっている。

「新宿に実店舗ってスゴイな。相変わらず勢いあるなぁ」

「まあ今度のやつはトントンで回ればいいからな。 ところで美晴ちゃんと隼くんは元気か?」

「… まあ、元気してるよ… 」

その弱々しい言葉で元々勘がいい遼平は祥太郎の現状を察した。

「今日は他愛のない話をして帰ろうと思ってたけどな、どうやらたくさん話を聞くことになりそうやな」

都会に出てきても故郷の伊勢弁が抜けない遼平だが、颯爽とした外見とのギャップが彼の魅力でもあった。

「祥太郎、今の状況を飾らずにそのまま話してくれ」

その言葉に促されて祥太郎は語り始めた・・

独立には自信があった。店舗にせよ住宅にせよ自分のデザインは垢抜けてるし、実際評判が良かった。だから事務所の大先生と揉めたけど自分の城を持って活動したかった。最初は定期的に仕事を流してくれる建設会社を確保してスタートしたので順調だった。しかし突然仕事が出なくなった。これは‥、多分前の事務所からの圧力があったに違いない! それで新規の取引先を探す流れになったのだが、仕事は入ったり入らなかったり‥、で事務所の家賃、生活費は同じようにかかるわけで蓄えがどんどん減ってしまった。このペースならあと半年でアウトだ。もしそうなったらどこかの事務所に就職しようかな。でも雇ってくれないだろうね‥。もしかしたらこの業界は萎んでるのかもしれない。そして自分の能力を理解できない連中はアホだと思う。情けない話だが美晴との仲もギクシャクしてきた。結局は意欲だけで独立してしまった自分は愚か者かもしれない。能力ない奴が舞い上がって経営者を目指しちゃったんだ…

「はい、祥太郎、そこまでー、そこまでー。 しかし自虐、決めつけ、妄想がてんこ盛りやな、大体わかったわ、ははは」

遼平は祥太郎の目の奥を見つめながら続けた。

「あのな、まずは自分を下げることをやめな。 これ基本な」

と言い終わると同時に右手の中指で机をコツコツと軽く2回叩いた。

「で、これからどうするつもりなん?」

「‥ どうするって… とにかく頑張るだけさ…」

これは2時間ほど前に美晴に言ったセリフだ。「とにかく頑張る」、
この世間一般で広く使われている万能なセリフに遼平は素早く反応した。

「とにかく頑張る、かあ。 今日の気温より寒い言葉やなぁ‥」

深夜のファミレスは騒がしい。話し声、笑い声、食器を片付ける音‥。
そんな喧騒に包まれた店内ではあるが、祥太郎と遼平、二人の間には静かな空間が出来上がっていた。

「遼平、教えてくれよ、お前から色々学びたい。どうやって集客したら良いのか、どうやって経営を軌道に乗せたら良いのか‥。忙しいと思うけど定期的にこのように会ってくれないか。もうどうしたらいいか分からん…」

遼平はドリンクバーの前でいちゃつくカップルを眺めながら祥太郎の言葉を聞いていた。

聞き終わった後に3回ほどストローでアイスコーヒーをかき混ぜた後、静かにこうつぶやいた。

「俺から習うのではなく俺の先生に習うほうがええな その方が早い」

「先生? 遼平の?」

「うん、えのさんって人が名古屋にいる」

「えのさん? 名古屋!?」

「祥太郎は経営手法だけを学んでもアカン人や。マインドを整理整頓しないとどんなに努力しても上手く行かない人よ。具体的な経営手法とマインド、両方を教えてくれるのが えのさん 」